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「断絶の詩人」(国際表記:the poet of disruption) 作品紹介

【序文】

 準備は済んだ。すなわち、かつて国家対個人の問題という古い問題を俎上に載せた小生は、ついに新しい問題ーー世界対個人という問題に挑むことになった。誤解を避けるために、この二つの語義について触れておく必要がある。「世界」も、「個人」も、誰もがそれらと接触しているはずであるのに、その定義はしばしば矮小化あるいは拡大されてしまう。矮小化あるいは拡大されたままの「世界」あるいは「個人」ーーそれは時に、その両方を崩壊させるに至るだけの危険をはらんでいる。「世界」ーー。これは、私以外のすべてである。「個人」ーー。これは、私自身のすべてである。その境界線上には、多数の伝達媒体や観念が存在する。しかしながら、それらが時に「世界」や「個人」をーー形而上であれ、形而下であれーー浸食することがある。より正確に記述するのならば、まるで浸食されているかのごとく、「世界」や「個人」に強い影響を与えることがある。それは、我々が人間である以上、決して逃れることができないものである。伝達媒体や観念は、常にその可能性を秘めている。しかも、それらは「世界」と「個人」の境界線上で、複雑に絡み合い、その境界線の存在は我々に認識できないように仕組まれている。

 かつては、神がそれらを紐解いていた。教典を唱えること(記述することも)や神の遣いがこの世のものと思えぬ芸当で、「世界」と「個人」のあいだに緩衝材を取り除いていた。しかしながら、何を思ったか我々は神をーー愚かにもと言ってもいいかもしれないーー除け者にした。結果として、我々は自らの手で、この緩衝材を取り除かねばならなくなった。その撤去作業は果てしないものである。しかし、その撤去作業は、生きることに直接的には全く意味がない。我々は、その撤去作業に、ほとんど携わっていない。しかし、時に我々を殺すこともあるその緩衝材を放置するわけにもいかないことも、理解されるべきところのものである。

 演劇が、近現代において役割を担うべき役割の一つは、この緩衝材の撤去作業に関してのものである。即ち、演劇は神の死臭漂うこの時代において、「世界」と「個人」のあいだにある緩衝材の撤去作業に一役買って出る必要がある。

 そしてこのモノローグは、演劇が担うべきその役割を宣言するものである。世界の過ちは、緩衝材として、境界線上に横たわる。語り続ける青年はーー彼こそ、「断絶の詩人」というわけであるがーー緩衝材の撤去作業に携わっている。そして、そのような彼の姿は、我々が撤去作業をする際に参照されることになるということを、私は信じている。かつて神がーーそれは歴史家による妄想かもしれないがーー信じられたように。



 

メンバー

脚本・演出・出演     神田真直                

音響           岩谷紗希(幻灯劇場)      

制作、字幕操作      新原伶

照明           西面樹(演劇集団Q)        



上演脚本はこちら

劇団なかゆび -同志社大学-

(国際表記:Nakayubi)             

第三劇場(1954年創立)の神田真直を中心に2014年に結成。作品は独特かつ実験的で、劇場の<外>への訴えを常にはらむ。学生劇団のあり方を根本から見つめ、学問的な視点を作品に組み込んでいる。今回もその姿勢は崩していない。第1本「滔々と流れゆく」では、抽象化した<戦争>を独自の世界観に編み込む新しいスタイルの政治演劇を上演。第2本「動悸」では、客席との距離感を自在に操る舞台の上に、作品が創作されては崩れゆく様相をありのままに語る独自のアカデミズム演劇を上演。第3本「45分間」ではテロリズムを題材に、現代の資本主義「的」世界の危うさを突き止める二人芝居を上演し、京都学生演劇祭2016審査員特別賞を受賞。第4本「45分間」では、劇場の〈外〉の世界を劇場に内在化させることで、〈出来事〉をそこで起こすという演劇の核心に迫る実験演劇を上演した。同上演では、全国学生演劇祭審査員賞を受賞。

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